夢の角度
小柳玲子さんの詩を時々読む。
夢と現実、この世とあの世。
その境界を行き来する作風がとても魅力的だ。
今日も詩集『為永さんの庭』(花神社)の
「沈黙」という詩を読んでいた。
で、この一節にふと手が止まった。
わたしの夢の人はいつも左からやってくるので
あの明け方もあなたは左に立っていたろう
わたしは黙って前を向いていたろう
言葉をかけると
あなたが消えてしまうのが分かっていたので
(部分引用)
夢のなかで大切な人と会えた喜びと
言葉をかけると消えてしまうジレンマが伝わってくる。
その中で「へえー」と思ったのは、
この詩人の夢の人はいつも左からやってくる、というところ。
わたしの夢の人はいつも右からやってくる。
右からやって来て、左から去っていく。
そういえば風景も右のほうが鮮明のような気がする。
夢の向きや角度に個人差があるなんて意識してなかった。
ということを知人に話したら、
知人の夢の人は「絶対に左から来る」らしい。
ふーむ、そうなんだ。
この違いは何が影響してるんだろう。
視力だろうか、利き目? 右脳? 左脳?
不思議だわ。
■
食パン。1.5斤。「高級」と名の付くものらしい。
目標としている成果に達したからと、職場のオーナーがプレゼントしてくれた。真白い紙袋に入ったパンをスタッフに渡しているオーナーは口元がほころんで本当に嬉しそうだった。配り終えると皆でパンを持って記念写真を撮った。スタッフたちが小声で「お祝いに食パン?」「普通お菓子とかじゃない?」というのが聞こえた。
こうして袋から出してテーブルに乗せてみると、丸々1斤のパンは完璧なかたちを成していて頼もしい。食べ物の域を超えた物体のようにも見える。一時期の高級食パンブームは、味もさることながらこのかたちを手に入れる満足感も理由のひとつかもしれない、なんてことをいつもちまちまと格安の6枚切りを買っているわたくしは考える。
さて、これからこの完全体にナイフを入れるぞ。
追悼。武田花さん
写真家の武田花さんが亡くなっていたことを今日知った。
花さんは武田百合子の娘さんで、彼女のエッセイによく登場していた。私は武田百合子がとても好きで、本棚には『富士日記』『犬が星見た ロシア旅行』『ことばの食卓』 『遊覧日記』『日日雑記』 に加え未収録作品集『あの頃』、そして数冊のムック本が所狭しと並んでいる。花さんは本のなかで武田百合子の目を通して生き生きと描かれている。『富士日記』に登場した花さんはまだ小学生。それから少しずつ成長し、しだいに対等に、いやそれ以上の頼れる存在になっていくのを感じながら読んでいた。
本棚から『遊覧日記』を取り出してめくってみた。ふたりの文章と写真が一つの作品になっている(余談だが花さんは猫の写真が有名だけど、私は風景写真が好き)。A先生が登場する「11京都」では最後に百合子が花さんにたしなめられている場面があって何度読んでも笑ってしまう。
もうその花さんもいなくなってしまったのか……。
毎年富士の別荘で過ごしていた武田泰淳と武田百合子がこの世を去り、花さんもいなくなってしまって、あの熱量のある豊かで野蛮な富士生活の日々が本当に終わりを告げたような気がしてどことなく寂しい。
寂しいなぁ。